「嫌い」を「嫌い」になってはいけない

 

"好き"の発掘は楽しく取り組めるのに
"嫌い"の探求には後ろめたさを感じる

 

 

どうしてなのか?

 

 

こんな漠然とした疑問を胸に
私が私の嗜好に自分自身の

"嫌い"を掲載しはじめてから

もうすぐ1年が経とうとしています

 

 

最初の頃は、

すごく抵抗感がありました

 

"嫌い"を発表することは
"嫌い"を"嫌い"のまま

認めていくことです

 

今までは、

嫌い=克服すべきこと

という思い込みがありました

 

嫌いな"モノ"を食べてみたり
嫌いな"コト"に挑戦してみたり
嫌いな"ヒト"に近づいてみたり

と、頑張っていました

 

"嫌い"なことが沢山ある自分を
"嫌い"になりたくなかったから

 

誰のことも大好きと言える
誰からも好かれている人に

憧れてもいたから

 

必死に

"嫌い"を
"好き"になる

努力を続けてきました

 

 

でも、

改めて自分の"嫌い"を
発掘して気づいたのです

 

"嫌い"を嫌いのまま受け入れず
"好き"に変えようとすることは

自分らしさを
歪めてしまうことだと

 

"嫌い"とは、

自分らしさが崩壊することへの

警告なのかも知れません

 

これを受け入れてしまうと
自分を見失ってしまうよ!

という

 

 

自分の中にある"嫌い"を
認めて、受け入れることは

怖いことです。

 

誰だって消したくなる

 

けれど、

自分の中の"ネガティブ"な面にこそ
自分を知る"ヒント"が隠されている

と、私は思うのです

 

 

なぜなら、

"好き"という感情は変化しやすくても
"嫌い"が変わることは滅多にないから

そこには、

自分の確固たる意思が
存在している可能性大

 

自分の中の"好き"が解からない時は

意外と

自分の中の"嫌い"を認めて
1枚1枚剥がしていくことが

近道になります

 

だから、

"嫌い"を嫌ってはいけない

 

嫌いなモノは捨てていいし、
嫌いなコトはやめていいし、
嫌いなヒトからは逃げていい

 

そう、

自分を赦していい

 

 

多分、

自己分析って、

自分の"闇"
光を射す作業です

 

闇に光が射さなければ

闇は闇のまま

でも、

光を射すことで
輪郭が見えれば

自分がハッキリと解かる

 

 

私は、

"嫌い"に光を射して
"言葉"にしたことで

嫌いなモノ、コト、ヒトを
自分の人生から切り離して

頑張るのを"やめる"ことができました
("嫌い"を"好き"に変える努力を)

 

その結果、

すべての"嫌い"の根っこには

変えることは難しい
変えられるワケない

自分の"気質"があると知ったのです
(※HSS型のHSPという気質!)

 

"嫌い"は、

自分を本質へ還してくれる
大切な"道標"でした

 

 

誰だって、

光と闇

どちらも併せ持っているもの

 

それが"自分"でしょう?

 

自分の中の光と闇を統合し
そのまま受け入れることが

自分を愛すること

 

ちゃんと自分を愛せていますか?

嫌いを嫌っていませんか?

 

この問いは、

私の中で永遠に続きそうです

《私の自己分析》

本当は"嫌い"なモノ、コト、ヒトを書き出してみます。ジャンルは問いません。なぜ、嫌いなのか?どんなところが"嫌い"なのか?嫌いなモノ、コト、ヒトに共通点はあるのか?"嫌い"を書き出して俯瞰してみたら、それらから少しずつ距離を置いてみます。離れてから聞こえる自分の"本音"をメモすることもオススメです。