「熱狂」とは「生き切った証」

 

最近、

"熱狂"という言葉について
深く考える機会があったので

今日は、

その考察結果について綴ります

 

 

熱狂を分解してみると

熱狂=情

と、考えられます

 

 

ここで言う

狂気とは、

誰に見せるワケでもなく
ひとりきりで一心不乱に

何かを追求する様子のことです

 

私の中では

数学者のイメージがあります

"承認欲求"からではなく
己の知的好奇心のみに従い

ただ

ひたすらに

目の前の美しい数式に
一生涯かけて向き合う

身を滅ぼすこともいとわない

これこそ

まさに

狂気の沙汰です。

 

そして、

その狂気に

誰かに伝えたいという
情熱がプラスされると

熱狂は完成するのでは?

という

結論に至りました

 

 

こう考えてみると

私は

今まで

熱狂という言葉に対して
勘違いをしていたことに

気づかされます

 

 

ずっと

熱狂という"言葉"は
大多数を指す言葉だと

そう思っていました

 

世界中が熱狂している

とか

熱狂の渦に巻き込む

とか言いますし

 

 

けれど、

もしも、

上記のように

定義するならば

世界中を熱狂させるのは

いつも

たった一人の

情熱+狂気から

スタートするのではないか?

 

誰か一人の狂気に"情熱"が宿り
他の誰かに伝染して広がっていく

 

きっと、

書籍タイトルの通り

『たった一人の熱狂』から
すべてスタートするのだと

そう腑に落ちたのです

 

 

世の中はいつだって
熱狂を渇望するもの

それは

私自身も同じく

 

 

熱狂という言葉について考えるまで
自分が熱狂していたことに気づかず

色々な経験をしてきました

あれも
これも
それも

全部

熱狂と呼ぶのか…!

と、驚きさえします

 

 

なぜ、

私は

熱狂から逃れられないのか?

 

 

熱狂すれば

楽しいばかりじゃない!

苦しいときもある、

エネルギーも膨大に消費する、

なのに、

どうして…!?

 

 

辿り着くのに

少々、

時間を要したその"答え"は

生きている実感を得るため

というものでした

 

熱狂なき自分は

生きているけど、生きていない

何かに熱狂しているときは

その時、その瞬間を

生き切っている感覚がある

 

私にとって

熱狂とは、

生き切った証なのです

 

 

今、

私は、

再び、

熱狂しはじめている

そういう感覚があります

 

この2~3年は

ただ

狂気的に

"自分"のためだけに
文章を綴ってきました

 

 

でも、

今は、

独りきりで

考えてきた
想ってきた
感じてきた

ありとあらゆる事を

表現しようという
情熱を持っている

 

すごく

静かですが

熱狂しています

 

 

静かなる、熱狂

 

 

決して

派手ではないけれど

これが

私の熱狂スタイルのようです