「ロジック」のない「説教」は地獄

 

ずっと、

勘違いしていました

 

おい!聞いてんのか!?
だから、お前はダメなんだよ!
馬鹿だよ、馬鹿!アタマが悪い。
何でこんな仕事一つできないんだ!
親の育て方が悪いんじゃないのか?

よく

ドラマでも描かれている
上司が部下を怒鳴り散らす

地獄絵図のようなワンシーン

これを"説教"だと思い込んでいました

 

 

しかしながら、

ある時、

辞書を引いてみると

 

説教とは、

元々、

宗教の教えを人々に
説き聞かせて導くこと
(そういえば、キリスト教のミサで「神父の説教」という時間ありますもんね!)

その意味が転じて、

目下の者に対して教え導くために
言い聞かせることや堅苦しい教訓

を、意味する場合もある

と、知ったのです

 

 

つまり、

説教とは漢字の通り

説明して、教えること

説教の中に存在しているものは
"論理"であって、感情に非ず

 

冒頭の台詞のように

感情的、怒鳴る、人格否定…etc

こうした

非論理的な言葉が入ったものは

説教ではなく
罵倒なのだと

私は、

認識しました

 

危ない、アブナイ

 

少しでも感情が入った"説教"は
説教ではなくただの地獄ですから

あのまま

勘違いを続けて
過ごしていたら

私自身、

将来、

とんでもない"暴君"へと
化けていたかもしれません

 

 

というのも、

毎年、

年齢を重ねていくことで

冒頭のようなセリフを
吐きたくなる気持ちが

ほんの

1mmだけ

解かるようになってきたからです

 

時々、

口から"説教"が飛び出しそうになり
そこへ"感情"が乗ろうとすることも

多々あります

が、

そこは

グッ

抑えるようにしています

 

 

なぜなら、

お説教っぽくなる"自分"を
自分が好きではないからです

 

 

なので、

ある時、

考えました

 

なぜ、

お説教したくなるのか?

と。

 

色々と分析して見えてきたのは

お説教したくなるのは

過去の自分を
導きたいから

という"答え"でした

 

 

実は、

お説教してしまう
or
お説教したくなる相手とは

目の前にいる相手ではなく
自分自身なのだということ

 

相手が過去の自分と同じような
失敗に堕ちそうになっていると

見かねて口を出してしまう

 

今、

過去の自分を救うことで
現在の自分を救おうとする

そうした

無意識的なレスキュー本能が
説教に変化しているのでは?

と、気づきました

 

 

もしかしたら

冒頭の台詞のように
罵倒してしまうのも

きっと、

過去に、

罵倒された"経験"が
あるからなのでしょう

自分が言われた傷つく言葉を
誰かに吐いて発散することで

自分を癒す

という場合もありそうです

 

誰だって

過去のネガティブを自分の内側に
置き続けることは不可能ですから

良い、悪いは

別として

何かしらの方法で
自分の"外"へと

吐き出そうとするもの

 

 

話しは少々

脱線しましたが…
(元に戻します!)

 

私が

お説教ぽくなりそうになる
"自分"を回避するために

やり始めたことの1つに

過去の"学び"を
今の自分に伝える

というものがあります

 

過去の失敗は

もう2度と繰り返さない!

と、

自分に誓うだけで
癒されるものです

 

目の前にいる相手に
過去の自分を投影し

今、

正そうとしても

私は癒されない

 

失敗は、失敗

 

事実を認めて
自分を正して

"失敗"を生かして
次へ進んだ方がいい

その方が

人生は100倍楽しくなる!

と、私は考えています

 

 

結局、

私の場合、

誰かにお説教したくなるのは
過去に"執着"しているから

 

"今"を生きていない

 

今、現在を生きるとは
現役であるということ

 

私は、

永遠に、

現役であり続ける

 

だから、

お説教もお説教ぽくなることもしない!

と、誓っています