「聴く」は「抱き締める」と同じ

黙って聞く、という行為は、その人のことを決して否定せずに受け止める、ということなの。(『本日は、お日柄もよく』p.156より)

聞くことは、話すことよりもずっとエネルギーがいる。だけど、その分、話すための勇気を得られるんだ、と思います。(同上、p.158)

これは、

私が、

『本日は、お日柄もよく』という
小説の中で感銘を受けた一文です

 

 

受信する人よりも
発信する人の方が

圧倒的に多い

この時代に

"聴く"ことの重要性を
ヒシヒシと感じています

 

 

肯定も否定もせずに

ただ

黙って

相手の話しをひたすらに、聴く

これはある意味

全速力で向かってくる相手を全身で
ドシッと受け止めるようなことです

 

"聴く"とは"抱き締める"と同じ

 

だから、

誰かの話しを聴くには
"エネルギー"がいる

逆に

誰かに話しを聴いてもらえると
エネルギーで満ちる感覚がある

 

私は、

このエネルギーを

"包容力"と呼ぼう!

と、閃いた瞬間

 

ふと、

自分に対しても包容力を持って
話しを"聴く"ことが大切だな

と、感じました

 

 

私自身、

数年前より、

かなり意識して、

内省の時間

自分と向き合う時間

自分の話しを聴く時間を
必ず、設けてきましたが

果たして、

ここ最近、

誰かの話しを聴くのと同じくらい
自分の話しを聴けているだろうか?

と、

振り返ったのです

 

 

自分の話しを"聴く"とは

自分の"内面変化"を
敏感に察知することです

「なんで、落ち込んでいるの?」
「楽しかったね!なぜだろう?」
「さっき、悲しかったのはなぜ?」
「イライラしてるね…どうしたの?」
「これ好き!どこが好きなんだろう?」

と、耳を傾け

言葉にすること

 

自分で"自分"の話しを聴き
自分を言葉にして認めること

 

どんな話しであっても

そのまま

抱き締めること!

自己受容する

それが大切です◎

 

 

ついつい、

誰かに好かれようとすると

誰かの話しばかり聴いて
自分を"疎か"にしがち

けど

自分が"自分"の話しを
聴けていないとダメです

 

結局、

"自分自身"の話しを聴けていないと
誰かの話しを真に聴くことはできない

私は、私の場合はって

自分を投影してしまう

相手をそのまま見ることが
できなくなってしまいます

 

 

なので、

誰かに対して聴き上手になる前に
自分に対して聴き上手であること

自分を抱き締めることができていれば
誰かを抱き締めることもできますから

 

私は、

誰かを抱き締めると
同じくらいの強さで

自分自身のことも

温かく包むことができる

そういう"自分"であり続けたい

 

今、

ここを読んでいる
あなたはどうですか?

ちゃんと、

自分を抱き締められていますか?