「ジェンダーレス」に「線」を生きる

 

私は、

カラダは女性で
ココロも女性で

恋愛対象は男性で

 

社会的には"女性"という
カテゴリーに入れられます

が、

女性だと決めつけられることや
女性らしさを求められることに

違和感がありました

 

 

それは、

きっと、

私が

自分が曖昧になりやすい

そういうタイプの人間だから

"女性"として
一括りになると

自分が記号と化していって
自分を失くしていくようで

焦っていたから

 

更に

子供の頃から

社会がイメージする女性像から
ハミ出そうものなら捕獲される

そんな"恐怖感"もあって

何か、窮屈だな…

って、

時々

檻をぶち破りたくなる

衝動に駆られていたからです

 

 

何を言おうと
何を着ようと
何を書こうと

私は私なのに

"中村慧子"という
ひとりの人間なのに

 

「それは女性らしくないよ」とか
「意外と男っぽいですよね」とか

なぜ、

ジャッジしてくるのだろう?

 

一体全体、

どういう基準なのか!

誰か教えて欲しい!

と、

こんな感じに

昔からある種の反抗心を
勝手に抱いていたけれど

最近、

気づいてしまったのです

 

 

"女性"であることに
息苦しさを感じるのは

社会のせいじゃない!

 

"自分自身"の中に
自分の"在り方"を

ジャッジしてしまう
"自分"がいるから

自分が自分の"らしさ"を
認められていないからだと

そう気づいたのです

 

 

ずっと、

苦手でした

"女性"だけで
構成されている

すべてが"嫌い"でした

 

例えば、

・女子会
・女性限定
・女性目線のアドバイス
・女性向けの商品…etc

 

昔、

"女性"としての
意見をください!

といった仕事依頼もあって

その時は"お金"のために
受けてしまっていたけれど

本音では

否定しかなくて

まとめる"意味"って、何?

と、

心の底では

馬鹿にして、嘲笑い

見下したりもしていました

 

 

けど、

実際、

誰よりも"線引き"して
自分を区切っていたのは

自分自身だった

 

一般的な

女性的イメージに抗い
ハミ出そうとしながら

誰よりもその在り方に
"批判的"だったのは

紛れもなく

私自身でした

 

これが自分なのだと
強気で吠えながらも

疑っていた、私

そのファッションじゃ
モテないんじゃない?

そんな言葉をテーマにしたら
女性らしくないんじゃない?

いいの?浮いても?
社会が描く女性イメージから
外れていって大丈夫なの?

と、

中途半端な"自分らしさ"と
未練がましい"罪悪感"とが

相殺し合っていたのです

 

 

それこそが"違和感"の正体

 

 

でも、

今、

その違和感は消えました

私が

私を認め、許したから

 

 

私は好きです。

今の"自分"が大好き

赤で身を染める自分もいいけど
黒と白で身を鎮める自分も好き

華やかな着物を愛でる自分もいいけど
メンズセーターに袖を通す自分も好き

メイク武装する自分もいいけど
すっぴんで無防備な自分も好き

サラサラロングヘアの自分もいいけど
髪をバッサリとボブにする自分も好き

可愛いスイーツを好む自分もいいけど
ブレスト会で"議論"する自分も好き

凛とした言葉もいいけど
血の滲む強い言葉も好き

美を伝える自分もいいけど
野心を"叫ぶ"自分も好き

 

女性性のドレスを着て
待っている自分だけが

自分じゃない!

男性性の"鎧"を纏って
勇ましく駆け出す、自分

そういう"自分"がいてもいい!

陰と陽

どちらも、自分

男性性と女性性

両方、

在っていい

統合する

モテなくなっても
疎まれたとしても
嫌われたとしても

私は"いい"と思う

 

 

表現だって、自由

私は、

"男装表現"を好みます

強くて、シャープな言葉

汚れたビジュアル…etc

 

 

似合ってないのは、知ってる

 

 

でも、

自分らしく
表現すると

心の底から

生きるチカラが湧いてくるから

 

私が

"自分自身"の
言葉を叫びたい!

そう願う相手は

私自身

 

自分に刺さらなきゃ意味がない!

 

別に

誰かに

想いを伝えたいとか、
感動を届けたいとか、
人生を変えたいとか、

そんな"崇高"なものじゃない

ただ

叫びたいだけ!

 

 

それでいいじゃない?

 

 

私は私

我が儘に生きていい

 

私は、

女性でもなく
男性でもなく
何者でもなく

どうしようもなく、自分

自分なのだから!

 

 

ジェンダーを超えていけ!

 

 

もう、

自分で
自分を

線引きするのは、嫌です。

線で区切るのはやめよう!

 

別に

誰かに

線で区切られ

カテゴライズされ

線引きされるのは構わない!

それは

その人の"自由"だから

 

 

けど、

私は、

もう2度と

私に"線"は引かない

 

世界は、

もっと、

複雑

星の数ほどの"ボーダー"で
編み込まれていると思うから

 

世界中に散らばっている
何億という無数の"線"

そのうちの1本が、私

 

 

私と私以外のすべて

 

 

多分、

世界はこういう風にも
表すことができるハズ

 

私達、

一人一人が

自分と
誰かを

区切る、線

自分こそが"線"なのです

 

 

もしかしたら、

名前とは、

自分と誰かを区別する

"線"の一つかも知れません

 

究極、

自分を表現する飾りは
"名前"だけでいい!

と、

私は信じています

 

それ以外、

他に必要なものってありますか?