「疲れてる?」は禁止用語

 

疲れてる?

という言葉は

私の中で

一時期

禁止用語でした

 

 

なぜなら、

シンプルに傷つくから

 

出逢った瞬間に言われると

え、私って、今日
そんなにヒドイ!?

と、落ち込んでしまう

そんな経験が何度かありました

 

 

勿論、

心配してくれているのは
充分すぎるくらい分かる

気持ちは嬉しいのです

が、

やはり、

言葉にせずに、そっと
見て見ぬフリをして欲しい

というのが"本音"でした

 

 

それにしても

なぜ、傷ついたのでしょう?

"今"となっては、

自分のことながら不思議です

 

 

過去の経験を深堀してみると
こんな"答え"が見えました

 

 

一言で伝えるなら

理想と現実のギャップに
何だか悲しくなったから

です

 

 

自分が疲れ切っていることは
自分が一番分かっているから

疲れている時

誰かに会う予定が入れば

今できる精一杯

綺麗を頑張ります

 

それなのに

出逢った瞬間に
疲れてる?って

そう言われてしまうと
頑張った気持ち自体を

グシャッ

潰されてしまうような
そんな気持ちになって

虚しくなったのです

 

理想と現実のギャップ

 

何とか頑張ってみたけど
やっぱり疲れて見えるか…

と。

 

 

それに

昔の私は、

とにかく、

自分のためにいつだって
元気一杯、綺麗でいたい

完璧主義でした

1人でいる時も
誰かに会う時も

完璧な"自分"でありたかった

髪の毛、1本たりとも
乱れることを許さない

隙がない

頭のてっぺんから
爪先まで気にして

自分なりの完璧さを
追い求めていました

 

 

でも、

毎日生きていたら
そうもいかなくて

仕事もある
家事もある

年齢だって重ねる

鏡を見ては
溜息もつく

 

それでも、

そういう現実に抗って
綺麗という"理想"を

追い求めてしまう

 

綺麗にしていない"自分"は
価値がないとさえ思っていた

 

で、

そんな心理状態の時に

疲れてる?と言われると
自分なりの"完璧さ"が

壊されるような気がした

というより、

言われた瞬間

壊れたんです

完璧であろうとすると
弱くなりますから、ね

 

これ以上、
どう頑張れというのか…

と、追い込まれる

 

だから、多分

疲れてる?という言葉に
傷ついたんじゃなくって

自己崩壊を認めることが
怖かったのだと思います

完璧ではない"自分"を
自分が愛せなかったから

 

結局、

自分が一番

自分自身の"自然体"を
認めていなかったのです

 

 

けれど、

いつの頃からでしょうか?

おそらく、

自分のことを理解し切って
自分を認められた瞬間から

ピカツルな自分も
ボサボサな自分も
ゲッソリな自分も

全部、

受け入れられるようになりました

 

 

綺麗になんてならなくていい
綺麗であろうとするだけでいい

と、

自分を"許す"ことができたのです

 

 

それ以来、

疲れてる?と聞かれても
何も感じない、平気です

 

というより、

疲れてる?と言われると
逆に気持ちが温かくなる

"素"を見せられる

そういう"好きな人達"とだけ
良い関係を築
けるようになった

ということも

大きな要因の一つかも知れません

 

 

疲れてる?と聞かれて

キリキリしてしまう

身構えてしまう人達とは元々
無理があったのだと思います

 

メイクは武装

 

内面の"脆さ"を
悟られたくなくて

完璧に"綺麗"にしていないと
怖くて会うことができなかった

そんな"関係性"は続かない

続くワケがない

続ける必要もない

 

武器を捨て、鎧をぬぎ

無防備でいられる

そういう人達とだけ
時間を過ごすことを

許していいのです

我が儘でいられる場所で
自分を"解放"していい

 

だって、

私達は、

"自由"なのだから…!

自分の場所は
自分で選べる

もう、無理をするのはやめよう

"自由"が許されていることで
疲れるのは終わりにしましょう

 

そうすれば、

あなたが疲れることは
もう2度とないから!

私達の会話で

疲れてる?は禁止用語

約束です