「慈愛」と「施し」は違う

 

困っている人を見かけると
頼まれたワケでもないのに

何でもかんでも手を貸して
勝手に疲れ切ってしまう…

 

これは"過去の私"です

 

私は

生まれ持った気質が故に
※HSS型のHSPという気質

相手の心情を察しすぎてしまいます

 

 

そのため

何とかしなければ!と

無駄に

奉仕の精神を振りかざし

自ら冒頭のような状況へと
陥ることが多々ありました

 

しかしながら、

こうした状況は
"人間関係"を

不健康にします

 

 

無償で助けるという行為は

一見、

優しいように感じます

が、

実は、

そうではありません!

 

 

私の経験上、

無償で助けてもらった側は
それが当たり前となるので

自然と

依存心を抱くようになり
自立することを諦めます

 

無償で助けた側は

最初は助けたことに
自己陶酔していても

時期に

"エネルギー切れ"を起こし
助けた手を放したくなります

 

 

実際、

私は、

過去に

何度も

手を放してしまったことがあります

 

けれど、

相手を"自分のチカラ"で
立てないようにしておいて

途中で手を放すことは

それこそ

"無情"というもの

無責任です

 

途中で見捨てるくらいなら
最初から助けない方がいい

 

自分勝手な感傷で

相手の"経験"を
奪ってはいけない

相手の成長を奪うことは、罪だ!

と、痛感したことが多々ありました

 

 

そんなこんなで反省が
山積みになっていった

ある日、

さすがに

自己嫌悪に陥り

こう決意することにしました

 

 

今後は、

助けて!と依頼されるまで
絶対に助けることはしない

と。

 

今、

私にとって、

助けて!=仕事の依頼

です。

 

どれほど

困っていそうな"感じ"を
相手から察知したとしても

もう、

自ら動くことはしない!

と、誓っています

 

 

時々、

助けて!

と、言うのではなく

無意識的に

弱っているということを
何となく醸してくる人に

出くわすことがあります

 

この場合、

相手は悪くありません
すべては私の問題です

私の対応次第で変えられること

 

私は、

どれほど

気持ちが揺さぶられても

心を鬼にして

気が付いていないフリを
するよう心掛けています

 

"助けたい"と思った瞬間に
自分が上になってしまうから

優劣がついてしまう

それは、

愛じゃない!

 

愛とは

ときに、

冷たくあること

 

 

勿論、

相手が困っていることを知りながら
依頼があるまで助けない選択をする

そのことに対して

罪悪感は覚えます

が、

実際、

弱そうに見える人というのは
そんなに弱くない場合が9割

弱そうに見せられることも、強さ

本当に弱っている人ほど
"強く振舞う"ものです

だから、

心配ご無用!

 

 

それに

思い返せば、

自分が勝手に思い込んで
動いていた時というのは

私自身、

"自信"が揺れている
過渡期でもありました

誰かに頼られることで
自己重要感を得ていた

情けない、私

 

 

結局、

不用意に助けてしまうことは
お互いの自信を奪うことです

助けてしまうことも
助けられてしまうことも

良い結果を招くことは、ない

 

本当の"人間関係"とは
対等関係であるハズです

 

それを乱してしまう
原因があるとすれば

それは、弱さ

自分の"芯"の弱さです

 

 

だから、

私は、

これからも

自分勝手に誰かを
助けたくなったら

まずは、

自分で自分の"弱さ"を
救いたいと思っています

 

それが

"凛"として生きる道へ

繋がっていると信じているからです

 

 

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