「過去」だから「書く」ことができる

 

過去しか書かないし
過去しか書けないと

痛感しています

 

 

この2~3年、

ホント、

書けませんでした

 

実際、

文章は毎日書いていたし
記事も更新していました

 

でも、

書き切った実感みたいなものは
まったく手ごたえとしてなくて

書きたい衝動と
書けない葛藤が

ぐちゃぐちゃ

アクセルとブレーキを
同時に踏んでいるような

そんな息苦しさがありました

 

 

それが今年の6月に入って
急に軽くなり現在に至ります

 

 

書けるようになったということは

やはり、

書きたいことがすべて
過去になったという証

 

過去になるとは

否定を捨て、ジャッジをやめ

すべて

認められたということ

 

"書く"という行為は

いつも

私に

"終わり"を教えてくれます

 

楽しかったことも
苦しかったことも

一緒になって昇華される
準備ができましたよ、と

 

 

本当は、

その時、その瞬間

思った、感じた、考えた

すべてのことを"そのまま"

表現することに憧れます

が、

過去になり切っていない

未精製の表現を
私は好みません

 

 

未精製というのは

誰かの目を悪い意味で
意識していないという

そういう意味です

 

客観視できていない

 

誰かの目を気にして書くことと
誰かに見られる意識で書くこと

これはらは

似て非なるものです

 

私は、

誰かの目を通す意識を持つことが
表現作品に繋がると思っています

で、

その意識が持てているか否かは
"書く"ことができるか否かが

教えてくれるのです

 

 

だから、

もし、今、あなたが

何も書くことができないと
思い悩んでいるとしたら…

それは、

書きたいと思っている"内容"が
過去に成り切っていないからです

 

 

スムーズに書けない時は

大抵、

その物事が

現在進行形

書きたい対象について
言語化ができておらず

再定義もできていない

 

その場合、

不用意に表現してしまうと

ノイズを生みます

 

砂抜きがされていない
アサリを噛んだような

ジャリッとした
不快感が広がる

 

なので、

今は、

過去に成るまでは

無理に書かなくていい

今の"感覚"を思いっ切り
味わい尽くせばいいのです

 

 

とはいえ、

私自身、

そう理解はしていても
書いてしまったことが

何度もあります

 

"今"も書いています

 

不完全でも書くことで
整理されていくという

そういう実体験もアリ

書いてしまうのです

 

 

この場合は、

後々、

何度か

修正が入るでしょう

 

一度、

アウトプットした表現から
ゴミや不純物を取り除いて

濾過していく

なかなか

骨の折れる"作業"です
(まさに今、現在もやっています)

 

毎回、

今度こそ、

過去になり切るまで
書かないようにする

と、決意するのです

が、

やはり

難しい…!

表現欲には抗えません

 

 

どうやら

私の中では

リアルを焼きつけたい衝動と
ナチュラルに届けたい葛藤が

いつも

闘っているようです

 

表現とは、

いかにして

リアルに近づくか?

が、

課題!

 

現実を現実のままに
表現することなんて

不可能なのに

追い求めずいられないのはなぜか?

 

 

そういえば、

今、

昔、表現において

リアルとナチュラルは違う

と、教えて貰ったことを思い出しました

 

今、

なんとなく、

解かりそうな気がしています