「透明感」は「強さ」の表れ

 

昔から

"透明感"のある人に憧れます

 

 

スーッと

明るく、柔らかく

表情の向こう側まで
透けて見えるような

そういう雰囲気の人が好きです

 

 

どうしたら近づけるのか?

と、考えてみたとき

 

導き出された"答え"は

やっぱり

"強さ"でした

 

 

毎日、

生きていると

どうしたって
どうしたって
どうしたって

濁ってきてしまいます

 

喜、怒、哀、楽の
怒と哀に囚われて

悪口、陰口、愚痴…etc

ネガティブに汚染されて
ネガティブをまき散らし

透明感がなくなっていく

 

心に

ネガティブを洗い流す
浄化機能はあるけれど

完全に

オーバーフロー!

もう、

壊れかけている

 

それを言い訳に

何度

ポジティブな自分から
ネガティブな自分へと

転落しただろう?

 

それは、

結局、

ただの"弱さ"なのに

 

 

ネガティブに堕ちるのは

簡単です。

 

 

ネガティブに転落するのに
エネルギーは要らないから

一瞬にして染まれる

 

ただ、

人間として濁ることを
自分に許せばいいだけ

"氣"を抜いて足を踏み外せば
あっという間に真っ黒になれる

 

 

でも、

ポジティブあろうとすることは
想像以上にエネルギーを要する

 

なぜなら、

ネガティブが下に向けてのチカラなら
ポジティブは上に向けたチカラだから

上がっていくって
本当に大変なこと

 

だから、

ネガティブなパワーより
ポジティブなパワーの方が

圧倒的に"強い"のです

 

透明感があるとういことは
ポジティブであろうとする

強さ

が、あるということ

 

毎日、

汚れても
濁っても
澱んでも

自分で自分をケアすることを

浄化することを怠らない

自分を"癒す"チカラがあるということ

 

 

自分で自分を癒せる人は、強い

 

 

でも、

私は弱い

すぐ

ネガティブに染まって

汚れてしまう

 

 

けど、

私は、

そんな"自分"を愛しいと思う

 

 

透明感のある人でありたいという
そういう"想い"を失うことなく

目指し、足掻く、自分

そんな自分を

私は、

認める

 

何度、

汚れても
濁っても
澱んでも

透明な自分で"在り続ける"必要性はない
透明な自分に還り続けることができるなら

弱い"自分"を受け入れて

ネガティブな自分と
ポジティブな自分を

行ったり来たりしながら
前に進んでいきたいです