「映像記憶」と「私」の闘い

 

私の中には映画館がある

 

 

今までの人生で出逢った人と
語り合った時間の"記憶"が

時々、

予告なしに上映される

摩訶不思議な映画館です

 

 

私は、

物心ついた頃から
何気ない日常会話を

まるで

映画のワンシーンのように

記憶します。

 

話していた内容は
一言一句そのまま

相手の表情や服装は勿論のこと
温度や香りまで鮮明に記憶され

それは、

ずっと、

色褪せることがありません

 

 

これが

映像記憶

呼ばれるものだと知ったのは

ここ数年のことです

 


 

映像記憶とは、

Wikipediaによりますと

生物が眼に映った対象を
映像で記憶したもの。
またその能力のこと。

と、書かれていて

・写真記憶
・直観像記憶

とも呼ぶそうです

 

 

著名人の中では、

旅先の風景をそのまま
繊細な作品で再現した

画家、山下清氏

 

精緻な描写で圧倒する

小説家、三島由紀夫氏

なども

映像記憶力を持っていたのだとか

 

 

前述の2人は、

"風景の記憶"に強いようです

が、

映像記憶力を持つ人はそれぞれ
得意なジャンルがあるようです

 

例えば、

"英語の記憶"に強い人は
TOEICなどで驚異的な点数を
楽々、
叩きだすことができたり

音楽の記憶に強い人は
楽譜を瞬時に暗譜して
周りを驚かせたりする

など

 

記憶できる対象は
人それぞれ違います

 

で、

私、

中村慧子の場合は
冒頭に書いた通り

日常会話の記憶

これに"強い"というワケです
(※特に1対1の日常会話を記憶します)

 

 

正直、

芸術や学問のジャンルの
映像記憶ならいいのに…

と、何度も思いました

 

だって、

そうですよね?

 

日常会話以外なら
何かしらの天才と

呼ばれていたかも知れません

が、

最近は、

これが"私"なのだ!

と、楽しめるようになりました

 

 

日常会話を記憶して
ポジティブなことは

何度も同じ人に会った時

今までの会話を記憶しているので
さりげなく過去の会話に触れると

よく覚えていてくれたね!

と、喜んでもらえること

 

相手が幾度となく繰り返す言葉が
相手の中でとても大切にしている

価値観なのかな?

と、勝手に分かること

 

また、

自分の大好きな人が話す
愛の言葉で溢れた記憶を

自分の好きなタイミングで再生して
何度も、何度も、見返せることです

 

 

一方、

ネガティブなこととしては

傷つく言葉を吐かれた映像も
鮮明に記憶されてしまうから

 

忘れたくても
忘れられない

 

記憶が再生される度に
再び、傷つきなおして

心が壊れかけること

 

私は覚えているのに
相手は覚えていない

ということが多々あるので

同じ話題が繰り返されたときは
ある種の苦痛を感じてしまうし

相手が嘘をついている時や
話しの辻褄が合わない時は

過去の記憶と照らし合わせると
すぐに答えが浮かび上がるので

知らなくていいことまで
知って疲れてしまいます

 

 

更に、

最も困ることは、

膨大な記憶によって、

カラダが侵食されることです

 

私の中には映画館の他に

『美女と野獣』に登場する図書館のような
「記憶テープ」の保管場所があるのですが

 

「記憶」できるのは
「無限」ではなくて

 

たまに、

SDカードの容量が
一杯になるように

その保管場所から記憶が溢れだして
収集がつかなくなることがあります

 

そのため、

一時的に、

「誰か」の話しを聞かなくなったり
「誰か」に対して不愛想になったり
「誰か」から離れるようになったり

という態度を取るので

誤解を受けることもしばしば

 

 

時々、

過去の記憶に付着した

言葉感情

自分の中でドロドロに溶けて

"爆発"したこともあります

自分で自分をコントロールできず
誰にも状況を上手く伝えられない

 

自分の中に溜まりゆくものを
表に出したいという「衝動」

 

子供の頃から異常としか思えない
現欲に駆り立てられていたのは

カラダに"蓄積"されていく
記憶を吐き出したかったから

 

だから、

いつも、

表現のカタチを探して
彷徨ってきたのだな…

と、

腑に落ちました

 

本当に呆れるほどに
旅をしてきましたね

 

ですが、

最終的に

今、ここで

書く

書くという表現に
落ち着いています

 

 

自分でも不思議でなりませんが
書くことで記憶が薄くなったり

キレイサッパリ

消すことができる

 

別に、

好きという気持ちだけで
書いているワケではなく

 

生きているだけで
溜まりゆく記憶に

押しつぶされないように
自分の輪郭を守るために

書いているだけです

 

 

書かずにはいられないから、書いている

 

 

ここ最近では、

記憶スイッチをON/OFFする方法を
ようやく発見することができたので

以前よりは"楽"ですが

 

それでもやっぱり、

記憶は溜まっていくから

何かに囚われることなく
何かに縛られることなく
何かに執心することなく

書きたいように、書く

自由に書くことが大切です

 

私にとって、

書くことは、捨てること

そして

生きること

 

だから、

私は、

これからも"自由"に

書き毟っていくつもりです