「肩書き」という「武器」を降ろす

 

ずっと、

自分を"表現"していく上で
特別であることを証明したい

 

そのために

誰も名乗っていない
強い肩書きを持とう!

と、

企んできました

 

 

それは例えば、

"言葉"を組み合わせて
造語的肩書きを考えたり
(ビュティー〇〇とか、〇〇クリエイターとか)

極めて困難な

"資格"を取得して
威嚇材料にするなど

どうしたら気を惹けるか?

そればかり考えていた、私

 

 

このWEB-MEDIAの
ドメインを取得して

すぐの頃も

タイトルを

野心家、中村慧子

随筆家、中村慧子

表現者、中村慧子

職業、中村慧子

と、

この順番で"迷走"していて

"肩書き的"なニュアンスを
捨て切れずに悩んでいました

 

でも、

自分自身を

何かしらの肩書きを通して

"表現"しようと
すればするほどに

重苦しく

呼吸ができなくなる

 

 

そんな時、

お馴染みのWEBディレクターの方に
WEBコンサルティングをお願いして

整理していた時

こう提案してもらったのです

枠、外したら?

と。

 

「職業、中村慧子」とか
「表現者、中村慧子」とか

それもいいけど、

何か、まだ"自分自身"を枠に
ハメようとしている感じがする

もっと、

自由にやってみたら?

と。

 

このアドバイスのお陰で

「拝啓、中村慧子」は

"誕生"したというワケです
(前略と拝啓の案があって、"拝啓"を選択しました!)

 

 

勿論、

最初は、

戸惑ってしまって

なかなか

「拝啓、中村慧子」で
リスタートする決断が

できませんでした

 

というのも、

私は、

"表現活動"において
肩書きを外すことなど

ずっと、ずっと、ずっと

"遥か彼方"の未来だと
決めつけていたからです

 

文化人として
社会に対して

一つの"肩書き"を極めて
"存在感"を確立できたら

肩書きを外して

"中村慧子"で生きよう!

と、

心の片隅で

密かに

作戦を立てていました

 

 

けど、

どうしたって、

究める前に

次へ飛び立ちたくなる

変化と進化を通り越して
新化せずにはいられない

衝動的な"自分"がいます

 

それは、

『はじめての野心』を
書き切った"瞬間"に

薄っすら

気づいていたことです

 

野心家になれたことで

完全に

目覚めてしまった

 

何か、

私が"表現"したいことは
野心家の延長線上にあるな!

と。

 

けれど、

"新化"するのが怖くて
"野心家"に執着もして

誤魔化し、無視して、嘘をつき

"新化"を拒み続けた

 

 

しかしながら、

自分についていた"嘘"は

「拝啓、中村慧子」の"誕生"によって
残酷なまでにハッキリしてしまいました

 

ああ、

私が成りたかったのは

専門分野を通して
"自己表現"する

文化人じゃなかった

私は、私になりたかった

"中村慧子"になりたい…

自分自身を表現したい!

 

これが、

"本心"でした

 

 

気づいてしまったら、終わり

 

 

こうして私は

「拝啓、中村慧子」と
タイトルを打ち込んで

肩書きを捨て

"中村慧子"に生まれ直したのです

 

それは同時に

文化人として

メディア出演することを、捨てる!

と、覚悟することでもありました
(勿論、ビジネス書&実用書の出版も諦める覚悟です)

 

 

実際、

「拝啓、中村慧子」以後

いくつか

取材のお話をいただきました

が、

かくかくしかじか

事情を話すと

全部、

断られるという(笑)

語る"資格"が
明確じゃないと

ダメなのだそうです
(それはそうです!当たり前のお話)

 

そういえば、

野心家を名乗った時も

美容系の仕事をすべて
清算するに至ったので

失うことには慣れっ子です

が、

やっぱり、

私達は、

何かを"失い"ながら
何かを得ているのだな

と、

妙に

納得したのを覚えています

 

 

とはいえ、

ガムシャラに獲得してきたものを

全部、失って悲しかったか?

と、聞かれたら

答えは、NO!

です

 

1mmの後悔もない

 

私は、

肩書きを捨てると共に
多くを喪失したけれど

"中村慧子"になった瞬間

言葉にならないほどの
満たされた感覚があり

渇きが"0"になった

焦燥感が消えたのです

 

ホント、

本気で、

成りたかったのでしょう

 

自分自身が"本質"で
追い求めていることに

到達すると

こうも充実するのか?

と、

私自身

未だに

驚いています

 

 

ようやく、

解放された…!

この気持ちが大きかった

 

 

私にとって、

肩書きは"武器"でした

 

喉から手が出るほど欲しい…!

そう錯覚していたものを

獲得するため

与えてくれる人達に
アピールをするため

人々が集う場所で目立つため

自分が"何者"であるのか?

"社会"に殴り込むための、武器

 

 

結局、

肩書きとは

メディア出演を狙う際に
"必須"なものであって
(あくまでも"私"にとってはです!)

意外と

他の場所では

無くても生きていけるもの

 

 

だから、

私には、

もう、

武器は要らない

 

もう、

自ら"戦場"に行くことはないから!

武器としての
肩書きは、降ろす

 

一番、

成りたかった者に成れた、今

私は、

とりあえず、

"素手"で闘うつもりです

 

 

再び、

私が、

"武器"を持つことがあるとすれば

それは、

誰かに"戦場"に駆り出されたとき

 

もしも、

そんな時が来たら

その時、その瞬間

手渡された"武器"を受け取り
大いに遊びたいと想っています

 

 

肩書きを持たないということは

何色にでもなれる!

ということ

 

私は、

今、

"無限の可能性"を生きている
(逆に、どんな肩書きだって名乗れる!)

 

これからは

肩書きを持たないことにも
特に"固執"することなく

その時、その瞬間

必要なように"成り"

自分を"新化"させながら
自分の想像を遥かに超える

人生にします

 

 

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