「名刺」を燃やし「名前」で生きる

 

名刺の切れ目は、命の切れ目

と、信じて疑わなかった私が

"名刺"を持たなくなって
1年が経とうとしています

 

最初は

お試しで

名前+URLだけの
"名刺もどき"を

持っていた時期もあります

が、

それすらも持たなくなりました

 

 

多分、

それは、

獲得したいものが
"0"になった証

もう、

"今"の自分には

必要なくなったからです

 

 

名刺とは、

私にとって、

ちょっとした

武器でした

自分の持っている実績を
肩書きに詰め込んで戦う

異業種交流会で繰り広げられる
名刺交換はまるでカードゲーム

たった一枚で

どれだけ

相手の興味を惹けるかが、勝負

 

過去の私は

名刺交換の先に

いつも獲得したい
"何か"があって

ハイスペックな名刺を持つ人と
繋がりさえすれば道が開けると

本気で信じていました

が、

手に入れた名刺をすべて
燃やし尽くした、"今"

それは幻だったと感じます

 

 

結局、

人間と人間

本質的に繋がっていない相手とは
名刺交換で繋がっても意味がない

 

私は、

ずっと、

名刺と出会って
名刺と会話して
名刺と仕事して

名刺の向こう側で生きる人が

どういう"人間"であるのか?

一度だって、

覗こうとしなかった

そういう"自分"に気づきました

 

 

それは別に

そうした"過去の自分"を
反省しているワケではなく

ただ、

そうだったな…

と、

過去の自分と
現在の自分の

"違い"を確認している次第です

 

過去の私と
現在の私は

まったくの"別人"!

 

 

新しく

生まれ直した自分は

今、

名刺を破り捨て

新しい"価値観"を
見出そうとしている

 

これから"私"は

いつ、何処で、誰と

どんな出逢い方をしたいのか?

 

 

答えは明確です

 

 

私は、

本気で、

一期一会する

目の前にいる相手と

その時、その瞬間

もう2度と会えない覚悟で
真剣に向き合っていきたい!

と、想っています

 

そういえば、

昔、

茶道のお稽古を通して
一期一会の"意味"を

真に

理解したとき

鳥肌が立った

 

それまでは、

飲み会などで、

一期一会にカンパイ!

とか言ってふざけていたので(笑)

 

 

私は、

今、

誰とでも繋がれる時代に

あえて

一期一会に挑もうとしている

 

Facebookをはじめ

SNSはほぼ"0"なので

名刺交換をしなければ
もう2度と逢えない、可能性大!

 

 

それでも、

私は、

流れていく人間関係もよしとして
本気で"一期一会"したいのです

 

繋がり続けることがすべてじゃない!

 

もしも、

ご縁があるのなら

また巡り逢えるハズだ!

と、

運命を信じたい気持ちもアリ

 

 

更に

これは

一期一会をスタートしてから
日々、感じていることですが

名刺交換をしない方が

相手が自分自身の"中"に
色濃く残るということです

 

何度も、何度も

話した内容や表情が
鮮やかに反芻される

また、

出逢え直せたらいいな…

と、焦がれます

 

 

また、巡り逢えるだろうか?

 

 

勿論、

こうした生き方は

一般的には

褒められたものじゃありません!

 

時々、

非常識と露骨に嫌な顔をされたり
透明人間のごとく無視をされたり

軽蔑されることもある

 

でも、

それは仕方のないこと

"違う"だけです

 

過去の私と
現在の私が

ただ

違うように、違う

 

 

だから、

この先、

どう"審判"されたって

私は私

暫くは、

いつか、

"大人"に鬼怒られるまで
この姿勢でやってみます(笑)

 

これが、私

 

 

名刺を燃やし、名前で生きる

 

 

そういえば、私

名刺はないけど
名前はあります

 

そして、ここ!

『拝啓、中村慧子』という

"城"もある!

 

江戸時代の

戦国武将のように

名乗り合うだけで
繋がれることも…

無きにしも非ず
(馬に乗って誰か訪ねてくる日があるかも!?)

 

これは人生を賭けた、実験

 

きっと、

これからの出逢いは

もっと、もっと、もっと

刺激的になるハズです!

 

 

「私の革命学」のバックナンバーはコチラ》