「捨てる」と「痛み」があるのはなぜ?

 

最初に"答え"を書いてしまうと

捨てるとは、

自己破壊

自分が壊れるから、痛い

 

まっさらな

"0"の自分に還るには

古くなった"自分"を
巨大なハンマーで殴り

ひび割れた部分を

一つ一つ

引きちぎっていく

"自分を壊す"

プロセスを要するということ

 

 

私達は、

今、手にしている

"モノ、コト、ヒト"を
自分のカラダの一部だと

錯覚しているから

 

頭や手足を切り落とせば
"血"が噴き出すように

モノ、コト、ヒトを捨てる時も
カラダから血を流す感覚がある

 

それが、

幻覚だと

アタマでは解かってはいても
真っ赤な血に染められていく

"痛み"を感じるのは当然です

 

 

少なくとも

私自身は

今まで

何かを"捨てる"たびに

こうした

自分のカラダの一部を
失うような強烈な痛み

を、味わってきました

 

世間一般では、

"捨てる"と聞くと

真っ白で

スッキリとした

神聖な

イメージを抱くでしょう

 

 

でも、

私は、

違います。

 

 

捨てることは、

自分のカラダを突き破って
もう一度生まれ直すような

古い自分を、葬り

その命を奪って生まれ直す、感覚

 

例え、

"自分自身"を切り刻んだとしても
新しい自分として生まれ直したい!

そんな

強烈な"衝動"です

 

 

と、言いながらも

正直、

何かを捨てる時は、毎回
死にたくなるほど、怖く

そして、

捨てる瞬間は、痛い

 

気がつけば、

"血まみれ"になって
呆然とすることもある

 

 

けれど、

私は、

知っています

 

流した"血"から

いずれ

真っ赤な

"血の花"が咲くということを

 

捨てることは

痛みを伴うけれど

咲く花は

血を流した数だけ
美しくなるのです

 

 

だから、

私は、

いつだって、

古くなった"自分"を
捨てずにはいられない

"自然の流れ"に抗うような
無理矢理なカタチであっても

どうしても、

血で花を咲かせたい!

と、願う

 

それが、

私らしい生き方であり

"自分を生きる"

我が儘に生きることだから

 

私は、

捨てろ!

と、叫ぶ

自分の"声"に従って
"常識"に反旗を翻し

突き進むと決めたのです

 

"0"になるまで捨て切る!

と。

 

 

今、

"革命"の時

 

真っ赤な"血"は

覚悟の証

どんな"運命"をも
抱き締める!という

鮮血の誓い

 

今、

自分の"0"に還る

自分に目覚める時

 

 

人生を賭けた、実験

約3年間

捨て続けた日々から

何に気づき、何を学んだのか?

今、

よくやく

ここに書くことで

終わりを迎えます

 

書くことは、捨てること

 

書けば、

やっぱり、

"痛み"を感じるけれど

 

私が、今

感じている"痛み"の先に

一体全体、

どのような"花"が咲くのか?

 

興味津々

 

"好奇心"は束縛できない

 

 

私は、

今、この瞬間

自分で自分を

コントロールすることさえ、捨てる!

 

自我で書くことをやめる

 

私は、

ただ、

イチ読者として

書き捨てることで
現れた"結末"を

見届けるつもりです

 

 

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