「捨てる」とは「革命」だ!

 

生きるとは、汚れることだ

と、

感じることがある

 

 

世間の、社会の、誰かの

常識に
意見に
規則に
思考に
嗜好に

生きているだけで、汚れていく

 

自分が"誰"なのか?

 

サッパリ、

見失ってしまう

 

 

少なくとも

3年前の

私はそうでした

 

色々な世界を

裸足で走り回ってきた
10年分の"ツケ"が

一気に押し寄せるように

書きたいものを
書き終えた瞬間

何も見えなくなった

 

 

子供の頃から

いつだって、

表現したいことだらけで
"心"は溢れていたのに

気づけば

カラカラに乾き切って
"エネルギー"は枯渇

 

情熱にも"命"が宿っている!?

と、思うほどに

"自分"を突き動かしていた
熱いものがピクリとも動かず

死を迎えたような

静けさがありました

 

 

そして、

その時、

悟ったのです

私は、

随分、

自分ムリをさせてきたのだな…。

と。

 

 

私は、

多くを手に入れようとして
酷く、重くなっていました

 

泥にまみれた分だけ

全部、

望みを叶えることはできた

 

けど、

一番、

命より大事なものを
亡くしてしまった…

 

 

表現欲の"死"

 

 

だから、

私は、

決意したのです

 

"約10年"かけて
手にしてきたものを

すべて、

捨てる!

"0"の自分に還る

 

自分自身に対して

"革命"を起こす!

と。

 

 

これは、

以前、

私が、

自分を見失って挫折した時にも
"小さく"やっていたことです

が、

今回は、

約3年間

大々的にやりました

 

 

私は、

これを、

"0"の儀式

と、呼んでいます
(※またの名を"0"の革命!どちらにしようか迷い中!)

 

 

古くなってしまった、自分

"今"ではない

モノ、コト、ヒトを
徹底的に手放すこと

 

一度、

自分自身を葬る

 

そうすることで、

"0"から自分を

復活させよう!

という魂胆です

 

 

今、ここで

私が書き綴ることは

断捨離、ときめき、ミニマリスト…etc

などの

"捨てる方法"ではありません

そんな崇高で

素晴らしいものじゃない!

 

自分勝手な、呟き

 

ただ、

"0"の自分に還りたい…!

という渇望から

実験的に捨てた、記録

再生するまでの"軌跡"です

 

 

人生を賭けた、実験

 

 

結論を言ってしまえば、

私は、

かつてないほどに

捨て切った、結果

表現欲を

復活させることに
"成功"しました

また、書きたい…!

と、

再び、

情熱が噴出して

書くエネルギーが
湧いてきたのです

 

 

思い返せば、

書くというのは

凄まじく

エネルギーを要するもの

 

しかしながら、

そうであるにも関わらず

過去の私は

エネルギーを散らばせていた

 

私は、

きっと、

バラバラになった
自分のエネルギーを

回収するために、捨てた

 

 

捨てるとは、

"0"の自分に還ること

"0"は終わりでもあるけれど
はじまりをも意味する数字です

 

"0"は、

これからスタートするぞ!

という

エネルギーに満ち溢れた
無限の可能性を意味する

 

そうです!

"0"の自分に還ることは
無限の可能性を生きること

捨てることは、

失うことじゃない!

 

自分自身に

行動力というエネルギーを集めて
駆け出す"準備"をすることです

 

 

実は、

私は、

まだ、

完全に

捨て切れていません

 

今、ここで

"捨てる"について
最後まで書き綴って

書き捨てる

それをやり終えてはじめて
"0"の儀式は完結します

 

 

書くことは、捨てること

 

 

さて、

そろそろ、

"0"の儀式

最終章に入りますか?

 

結局、

私にとって、

捨てるとは、

生誕祭?復活祭?血肉祭?

 

もう、何でもいいけれど(笑)

とにかく

祭りです、祭り!

 

さぁ、

鮮やかな"血"が舞い散る
フィナーレのはじまりです!

 

 

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